こんばんは。
今日、弟に教えてもらったブログについて書きたいと思います。
それまで連日の原発についての報道に正直疲れていたのでした。
専門家はみんな言ってることが違うけど、どれもしごくまっとうのようにも聞こえる。私には理解しにくい単位で言われるから、余計に頭にはいってこなくって、ただ要は安全なの?そうじゃないの?そればかり気にしてしまう。じゃあ、納得のいくまでとことん勉強したらええやんってことになるけど、それも気力がないんです。
だからっていろんな人の言うことを鵜呑みにすることも怖いし、そもそもTVの言ってることなんて信用できないし…とかなんだか言って結局わからなくなってくるんです。んで、思考が楽観的な方向に行く。「大丈夫じゃないの?」って。
なぜそうなるのかというと、危機を感じたところで自分にはどうしようもないというあきらめがはいってしまうからだと思います。24時間恐怖におびえてるよりかは、大丈夫って言って日常を過ごすほうがずっと楽だし。
という自分と向き合うのも、同僚と原発のことについて話して気が付いたことです。すごく情けないのですが、正直な気持ちです。
ああ、人間というのは、ものすごく楽観的なんやなぁと思いました。私という人間を通して「人間というものは…」でくくるのもおかしな話なんですが、周りを見ても似たような人が多いのではないかしら。と思えるのも正直な感想。
楽観的に観ることは決して悪いというわけではなく、むしろ良いことで、日々暮らすなかで、自分の中、もしくは他人の中にある楽観的な気持ちに、何度も何度も救われています。
でも命を脅かされる危険に一度もあったことのない私は、原発という日本が抱える問題をものすごく軽くみていたのかもしれません。
と、↑のブログを読んで思いました。しかも弟が東京にいなければちゃんと最後まで読んでたかも微妙。不安材料は見たくないという防衛本能が働いてるのでしょう(ものすごく正当化した言い方だけど)
このブログでは、原発が日本でどのようにつくられたかたということ、そして日本がたくさんの原発を抱えることで今後どういう問題が起きてくるかということが具体的に書かれています。
人体の影響、たとえば放射線に汚染された魚を食べるとほんとうにあかんのかという生物学的?具体的なデータはないにせよ、内容は信憑性があると私は思いました。とくに差別の問題は、現実それで苦しんでいる人がたくさんいるのだ。放射線は目に見えないものだからすごく怖い。だから専門家やらお上やらの言ったことだけが頼りになってしまうんだけど、安全も保障も目に見えないものだから、「放射線浴びたけど大丈夫!」って言われてもできれば触れたくないというのも人の心理です。去年のほうれん草は出荷が停止されたけど今年は大丈夫!って言われたほうれん草と、原発から遠く離れた地で育てられたほうれん草とだったら、後者を選んでしまうのも人の心理です。それが中国産であっても、タイムリーに危険と察知した方は選ばない方がいいんじゃないかと思ってしまう。たとえばその後中国産は農薬だらけだから危険だよというニュースが出たら、きっと原発のことなんか忘れて、普通に本産!日本産!てなるだろうし。
私は違うよ!公平だよ!そんな情報に踊らされてないよ!差別なんてするもんですか!
と言う人もたくさんいるだろうし、私もそうでありたいと思う。でも公平、公正ってなんだろう。
地震が起きて初めて書いたブログで、たくさん舞い込んでくる情報を見極めよう!みたいなことをえらそーに書いてしまったけど、その情報の正しい正しくないって、一体どっからくるのだろう?信頼できる人が言ったから?現地の人が言ったから?データに基づいているから?
目に見えない危険や物事については真実は誰にもわからない。
現時点で安全だというデータ、危険だというデータ、どちらも飛び交っています。
前述のブログを書かれた
平井憲夫さんも私は本当だと思ったけど、大変失礼を承知で言いますが、100%真実であることを証明できる人はいらっしゃるとしてもごくわずかだと思うのです。
すごく難しい問題なんですけど、情報を見極めようとしたときに、私は賢人であろうとしてしまいます。間違うのが怖いのです。ネットでよくあることですが、正しさを盾にして、それにそぐわない人を、さも鬼の首をとったかのように非難したり叩いたりするのもよく見ますが、間違うのが怖いから、自分が正しいと思える意見を無意識にとりあげたりしてしまいます。結局不安なのです。賢人でないのに賢人ぶるってすごく愚かなことですよね。やめたい。
そう、いくら正しいと思いたくても真実って人それぞれ違うんじゃないかな。
昔、キヨシローが原発をテーマにした歌をよく歌ってました。リアルタイムで聴いてなかったから反原発を歌ってどんなけたたかれたかはよくわからんし、私もなんとも気にしてなかった。
今でも彼が100%正しいかはわからないけど、これがキヨシローの中の真実だったんだなと思った。
どうせなにもできないからってあきらめたくはない。私は私の中の真実が欲しい。それを言葉や行動にしたい。
だから生きてる限りできるだけ目を開けてようと思いました。
***
またオマケ的になってしまったニットネタ。
友達の誕生日でカバンをつくったんですけどすんごくかわいかったです。
持ち手は笹谷木工(父)作。なにげに親子コラボ。
そして卒作のひとつ、つなぎがやっと完成。
ボディのお尻が長くって、着せたら胴の部分が伸びてなんだか変だけど、着たらもっといいかんじです。
こっちもお尻らへんが笑える。今度は着た写真をちゃんと撮っときますね。
ニットでつなぎって作れるんだなぁ。伸びをすごく気にして作ったけど、思ったより伸びず、ちゃんと普段に着れそうなかんじ。すごい収穫☆
もいっこの作品は、実験しすぎてすんごいメルヘンな作品になりそう。せめてここでも見せられるように仕上げたいなと思うのですが、手を入れれば入れるほどメルヘン度アップしてて、えらいことになってます。
ではまた来週!